あたたかな、使命。

PROJECT
STORY

あたたかな、使命。

医療機器という商材。
それらを扱うことで生まれる、
医療の現場を、
いちばんそばで支えていく責任。
この大きくて、あたたかな使命を
果たすために、絶対に欠かせないもの。
それが、チームの力です。

専門性の違うさまざまな職種が、
お客様から受け取った願いを
リレーするように、
一人ひとりの全力をつないでいく。
想いをひとつにすることで、
はじめて形にできる理想がある。

医療のために。つまり、命のために。
走りつづける、3人の記録。

PROLOGUE

T大学O病院。

半世紀以上の歴史を持つ地域有数の医療施設が、
新築と移転によって生まれ変わることになった。

その時、富士フイルムメディカルはどう動いたのか。
営業、SE、FSE。その一人ひとりは、どう動いたのか。

PROJECT STORY 01

PROJECT
STORY

01

今井、
焦る。

「O病院への提案、うまくいきそうか」。営業の今井は、ときどき上司からそう声をかけられた。「もちろんです」。そう答えつつ、肩の⼒が抜けない。新築・移転に伴う、PACS(医⽤画像管理システム)の導入提案。O病院の母体であるT大学との関係を強固にするためにも、今回の提案はぜひとも成功させたい。

今井はまず、情報収集に⼒を注いだ。O病院を何度となく訪問し、ドクターや技師など、現場の声にこまめに⽿を傾ける。これまではPACSをどう活用していたのか。どんな課題があったのか。移転を機にどう変えていきたいのか。それらを正確に把握しなければ提案は始まらない。さらに、病院内の組織構成や⼈間関係までも頭に叩き込む。窓⼝はひとつではない。話の中⾝によって、持っていく先も変わる。そこを⾒誤るだけで、競合他社に⼤きく遅れを取ることもある。

PROJECT STORY 01
総合力に、総力を。

熱⼼に情報を集める中で、ひとつの気づきがあった。O病院では、30代、40代のドクターに大きな主導権があるということ。若いドクターはテクノロジーに対するリテラシーが⾼いため、PACSの難解な仕様も読み解くことができる。すると、単純にスペックだけで決められてしまう可能性もある。だが、それでは富⼠フイルムメディカルの真価が伝わらないのだ。

富⼠フイルムメディカル最⼤の武器は「総合⼒」だ。業界でも群を抜いて豊富な商材ラインナップ。それらを組み合わせることでもたらされる、他社にはないソリューション。その価値を前⾯に押し出したい。今井をフロントとして、職種も専⾨分野もさまざまなメンバーが集結。10名あまりのチームが立ち上がった。それぞれの情報と⼈脈を持ち寄ってミーティングを重ね、提案内容を固めていく。

PROJECT STORY 01
破談寸前。

今井たちチームは、PACSを中⼼に、さまざまな商材が絡み合った複合的な導⼊計画を⽴案。プレゼンテーションに臨んだ。病院の規模が⼤きくなるほど、そして提案が複合的になるほど、プレゼンーションの回数は増える。午前8時からの医局会に幾度となく⾜を運んだ。回を追うごとに、いい評価を聞けるようにもなってきた。今井の⾃信が深まりつつあった、ちょうどその矢先。

「今回は導⼊を⾒送ります」。突然の宣告だった。他社の提案を採⽤することにもう決まったのだという。今井の頭は真っ白になった。あきらめきれずに事情を聞いてみると、放射線科が主導した判断であることがわかった。もちろん尊重すべきだが、ほかの科はどう考えているのか。富⼠フイルムメディカルのソリューションを⼿放すことで、不都合が出ることはないのか。今井はあらゆる人脈を通じて探りを入れ、再考を働きかけた。どうにか商談を成功させたいという気持ちも、ビジネスパーソンとしてもちろんある。だがそれ以上に大きかったのは、病院にとっての最善を尽くしたいという想いだ。医療環境の充実を決定づける商材だからこそ、チームの⼒を結集させて提案を練った。O病院の、さらには患者さんの幸せにつながる提案だという確信がある。

熱を帯びたその想いが、少しずつ広がっていった。O病院では再検討が始まり、やがて、富⼠フイルムメディカルの提案採⽤が正式に伝えられた。執念の逆転劇。⾦額⾯も含めた調整を終え、契約が完全にまとまったのは2⽉の終わり。今井に、少し早い春がやってきた。

PROJECT STORY 01
PROJECT STORY 02

PROJECT
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02

小泉、
駆け抜ける。

医療システムは、導⼊先によって使われ⽅が大きく異なる。営業が契約を成立させたあと、ヒアリングを重ねた上でのきめ細やかなカスタマイズが必要になる。使い勝⼿を突き詰め、機器やシステムのポテンシャルをしっかり引き出す。ほとんど1からの開発にも近いこの作業を⼿がけるのが、⼩泉たちSEだ。

300床をゆうに超えるO病院の規模は、⼊社2年⽬の⼩泉が初めて経験するものだった。そのサーバールームが、しばらくの間は⼩泉の「職場」になる。まるで病院の⼀員のように、ほぼ 常駐して作業を進めていくのだ。ドクターや技師に緻密なヒアリングを行い、それをすぐさま システムに反映していくにはこの形がもっとも効率がいい。

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20年分の画像。

難題は、旧システムに溜め込まれている画像データの移し替えだった。約20年分にも及ぶボリューム。しかも、旧システムに合わせた複雑な条件づけがなされている。新しいシステムに適合するよう、いくつもの⼿順を踏みながら移⾏しなければならない。デジカメの写真をコピーするのとはわけがちがう。

専⽤の移⾏ツールはすでに用意していた。だが、⼀気に進めようとするとデータ量に耐えきれずに落ちてしまうことがある。焦った結果、ミスが起きては元も⼦もない。「ボリュームを追うことも⼤切だけど、ミスをなくすことが最優先だ。医⽤画像なのだから」。⼩泉たちは病院側と協議し、開業までに移⾏する画像量の⽬標を4年分と決めた。ツールの稼働状況につねに⽬を光らせ、 時には⼿作業でフォローしながら、慎重に作業を進めていく。

PROJECT STORY 02
いちばん短い2か月間。

導⼊作業の総仕上げともいえるのが、使⽤者に対する操作説明だ。使⽤者が100%使いこなしてこそ、システムは最⼤限に⼒を発揮する。開院のその⽇から、誰もがシステムに習熟しているのが理想だ。その理想に少しでも近づけるために、カスタマイズした⼩泉⾃⾝が操作説明の⼤役も果たす。

使⽤者と⼀⼝に⾔っても、医師、技師、看護師と幅広い。全員を⼀度に集めようとすると、O病院の広い会議室でさえあふれてしまう。説明会は5回に分割されることになった。⼩泉にしてみれば、同じ内容を5回繰り返すのだから⾮効率といえば⾮効率。それでも、万全の状態で開院を迎えるために、やる価値は⼤きい。

O病院のサーバー室を初めて訪れてから2か⽉後。システム導⼊に関する、すべての作業が完了した。季節は初夏になっていた。やるべきことがぎっしりと詰まった2か⽉間。振り返ってみれば、瞬く間だった。初めて担当する⼤病院というプレッシャーが、時間の感覚を狂わせていたところもあったかもしれない。開業のその⽇を、⼩泉もまた、胸を達成感でいっぱいにして迎えた。

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PROJECT STORY 03

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STORY

03

田村、
背負う。

⼩泉と同じく、O病院のスケールに初めて挑む者がいた。FSEの⽥村である。もともとFSEの主戦場は、医療機器の「設置後」。定期的なメンテナンスを通じて、あるいは突発的な不具合への即対応によって、機器の安定的な運⽤を⽀える。

しかしO病院では、その業務範囲をはみ出してシステム設計から関わることになった。新築 と移転にともなってX線撮影装置がすべて入れ替えられることになり、FSEの腕が頼られたのだ。新しい病院に、新しい設備。はち切れんばかりの期待が寄せられる中での初挑戦。プレッシャーもまた、膨れ上がっていく。「なんとかなる。むしろ、成⻑するにはいい機会だ」。そう⾃分を励ましながら、⽥村はO病院に乗り込んだ。

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人脈から、
技術を広げる。

⽥村を迎えたのは、4部屋のX線撮影室。この移転を機に、O病院はX線撮影をアナログからデジタルに全⾯移⾏することを決めており、それぞれの撮影室にはデジタルパネルが4枚ずつ設置される。フルセットと呼べる規模だ。それらをどう運⽤していくかを、⽥村は新たに構築していかなければならない。機能や構造といった装置の「中⾝」について、もちろん⽥村はプロフェッショナルだ。だが、現場での使い⽅については医師や撮影技師のほうが習熟している。その貴重な意⾒を吸い上げながら運⽤⽅法を決め、システム化していく。

「せっかくデジタルパネルが何枚もあるのですから。過去の診察画像を並列表⽰して、⽐較できるようになりませんか」。たとえば、医師からこんな要望が寄せられる。それを持ち帰り、どう実現していくかを検討する。⽥村だけでは答えが⾒つからないこともしょっちゅうだ。だからこそチームワークがものをいう。上司も先輩も関係なく、それぞれの得意分野を突き合わせ、総⼒戦で答えを導き出す。「そういえば、こんな事例があったぞ」。誰かのそんな⾔葉をヒントに過去を紐解き、参考にしたりもする。これらのやりとりを通じて、⽥村の⼈脈も広がっていく。

PROJECT STORY 03
終わらない使命。

病院が開業する6⽉。⽥村はちょっと複雑な気分だった。「もっと早くできたはずなのに」。さまざまな要望をきちんとクリアしてみせたものの、ベテランが担当していたならさらにスピーディにできたのではないか。そんなほろ苦さが残っていた。

だが、FSEの正念場はむしろこの先にある。開業によってリアルな運⽤が始まると、これまでは⾒えていなかったシステムの課題があらわになる。新たな要望も生まれる。それらに応える使命が、⽥村にはある。O 病院で磨いた⾃分の腕を、これからのO病院のために。⽥村はもう、前を向いている。

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EPILOGUE

「仕事の重さに、改めて気づいた」。SEの小泉は、プロジェクトをそう振り返る。システムの小さな変更でさえ、さまざまな人の承認を必要とする大病院。それはつまり、影響力の大きさを意味する。その先につながっている、命の重さをあらわしている。そのことを強く胸に刻み、小泉は次の仕事に挑んでいる。

FSEの田村は、耳を澄ませることの大切さを思い知った。実際に医療機器を使う人々は、何を思っているのか。何を望んでいるのか。それを的確につかむには、ひとつひとつの声と真摯に向き合うしかない。一方で、ダイレクトに医療現場とつながるFSEだからこそ、できることがきっとあるはずだと考えている。

営業の今井には、ひとつ心残りがある。今井は、癌で祖父を亡くした。山間部で暮らしていたために病院が遠く、結果として治療が遅れたのかもしれないと考えている。そんな地域医療の課題を解決するネットワークサービスが、富士フイルムメディカルにはある。O病院にも提案していたのだが、残念ながら採用には至らなかった。けれどこれからも、それを広げるための提案を続けたいと思う。自分たちは医師ではない。けれど、富士フイルムメディカルにいるからこそ、命のためにできることがある。